誕生と死のダイナミズム
生まれてすぐは赤ちゃんって目が見えていない。3ヶ月くらいで動くものを目で追うようになるので親は見えていると思うが、6ヵ月になってもまだ視力は0.1くらいで、6才でやっと1.0とか。
しかし胎児のころから聴覚と臭覚と触覚はあり、たぶん意思がある。胎児が自ら出産の時期を決め、自分の頭蓋骨を折り曲げて頭をとがらせ、狭い産道にねじ込んで外に出るのだから、相当強い意志がある。
ここでは、意思はあるが意識はないということかもしれない。
意識って言葉が分からないとありえないのか。
ともかく赤ちゃんは、これまた強い意志で言葉を習得する。
10才か15才くらいになったら、今日あったこととか自分の思っていることを人に伝える程度の言葉を使えるようになる。
そして人生は、マイナスコサインカーブ。
マイナス1から始まって、中盤で1になり、最後はマイナス1。
60才くらいから急激にボロボロと言葉を忘れ、大事なこともこっそり少しずつ忘れ、目は見えにくくなり、最後には足が立たなくなる。
老衰する人は、何ヵ月も何も食べないらしい。寝たきりだし、胎児みたいだ。
人は死に際でも、聴覚と臭覚と触覚はあるみたいだ。そして意識はない、しかし意思はあるだろう、感覚があるのだから。
マイナスコサインカーブは左右対称。健康ならば医者はいらない。
さて問題なのは、死に際じゃないのに死んだほうがいいなんて言う人がいる。
人を殺したり、自分で死んだりする手段を知ってしまった人が、たまに間違いをおかす。
これこれこういうわけで、どう考えても死しかない、とか言う。それはその人のその時点での考えであるし、そもそも人の生死について言葉で考えて結論を出せるのか、あなたの半生の中で、一度でも自分の考えと言葉と行動が三つとも一致したことがあるか。言葉なんてたった5万年前から人類が使い始めてから、どんどん変わってはきたが、まだ全然完成していない。
人の誕生と死は、ダイナミックで根源的で神秘的で、この社会とか文化とか人間関係など、言葉と同じくらい不完全なものを超えている。
間違いをおかす恐れがある人に聞いてもらいたい歌がある。
宙船
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
そして
おまえが消えて悲しむ者にも おまえのオールをまかせるな
参考文献 「老いの空白」鷲田清一著