胡波のつぶやき

それってこういうことかな、だったらこうしたらどうなる。

砂糖には、すごい力があるらしい

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女性の最大の敵であり同時に最愛の友であるスイーツ。

甘すぎるとおいしくないし、糖分の取りすぎは体に良くないとか、贅沢な悩み。

 

砂糖は大昔の人も大好きだったらしく、最初はアジアの暖かい地方で栽培したサトウキビの汁を煮詰めて作っていた。今も製法は変わらないし、稲のように寒冷地でも栽培できる品種がないので、やはり暖かい地域で作っている。痩せた土地では採れないのに、サトウキビを栽培することで土地が痩せる。

 

大昔はヨーロッパでは、甘いものの代表は蜂蜜だった。

ヨーロッパ人が砂糖を知ったきっかけは、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王が、ギリシャからインドにいたる大帝国をつくったことで、少量の砂糖がヨーロッパに入った。蜂がつくったのではない固い蜜と言われていた。

 

ヨーロッパで初めて砂糖を製造したのはイスラム教徒で、7世紀から8世紀に地中海沿岸でサトウキビを栽培し、大勢の人を雇って砂糖を生産した。それでも当時の砂糖はかなり高価だったので、薬として使っていた。

十字軍の遠征の時にキリスト教の人たちが砂糖の生産方法を覚えた。

ちなみにキリスト教の人たちは、当時からかなり高いレベルだったイスラムの文化や科学や医学なども教わり、そののちルネサンスがおこり西洋近代科学が発展した。

  

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15世紀から、大西洋から中南米にあるポルトガルの植民地でサトウキビが栽培され砂糖が製造された。労働力は、アフリカから人を買って奴隷として働かせた。アフリカ人は貧しいから、親が自分の息子を売っていたのかと思っていたが、違っていた。国が自国の青年を売るのだ。鉄砲やガラス玉や綿製品と引き換えに。

なんと、15世紀の中ごろには、ポルトガルとスペインは、世界を半分に分けて、南北アメリカはスペインのもの、アフリカからアジアはポルトガルのもの、ただしブラジルはポルトガル、と決めて(トルデシリャス条約)、だからここは自国の領土だと言ってアフリカ人を大量に連れて行って、現地の人のことは無視して砂糖を作った。

時は大航海時代、ヨーロッパの人たちは大きな帆船を作り、武器と労働者を積んで、世界に出かけて金銀ダイヤモンドを掘り、農園を作って奴隷を働かせ、製品を持ち帰って市場で売り、どんどん裕福になっていった。

農園ではサトウキビのほかに、コーヒー、茶、綿が作られた。なぜかというと、それらも暖かい地域でないと採れないし、砂糖・コーヒー・お茶・綿製品は世界中の人が買ってくれるから。

同じ地域に一種類の作物を作るのは効率が良い、それをプランテーションという。

同じ種類の製品を一か所で作る工業を、コンビナートという、これも効率が良い、小学校で習った時は、ヨーロッパ人は頭がいいなあと思っていた。今は、欲が深いなあと思う。

 

戦争に負けて植民地にされた国は、独立した今も貧しい。奴隷として働かされていた人たちは当時から差別されていたが、その人たちの子孫が今も差別されている。

 

戦争に勝った国は、今も豊かで軍事力も強い。

アメリカとヨーロッパは世界の中心だと思っているようだ。

文化的にも優れていると思っているらしい。

 

 

イギリスでは、砂糖をたっぷり入れた紅茶が好まれている。

紅茶といえばイギリスというイメージがあるが、イギリスでは茶は採れない。緑茶が長い船旅で茶葉が自然に醗酵したのだという話は疑わしく、イギリス東インド会社の基地が中国の福建省厦門にあり、そこに集められたお茶は半醗酵茶「武夷茶」で、お好みに応じて醗酵度を上げて紅茶を作るようになったらしい。

紅茶も砂糖も、イギリス人のステータスシンボルで、最初は上流階級の人だけの習慣だったのが、値段が下がってみんながむ飲むようになった。

 

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みんなが砂糖が欲しいというだけで、こんなに世界が変わるなんて。

とにかくお金が儲かる事業を広げる資本家も、いい物が安ければ買ってしまう消費者も、心が汚い。

そして、わたしも砂糖を買ってしまう。

 

参考文献「砂糖の世界史」 川北 稔 著